炎上、縁情

ナインティナイン岡村隆史オールナイトニッポン』における岡村さんの発言に関して、Twitterのトレンドに出てきた日から放送内での謝罪及び相方の矢部さんによる説教を聴いた今まであれやこれやといろいろと思考を巡らせていたのだが、どうしても気が滅入ってしまうのでここに文章を起こして終わりにしようと思う。

今回の発言の内容については、自分の善悪のジャッジに自信が無い上、ジャッジするべき人間でも無いので触れたくないが、公式に各方面から謝罪が上がってる以上、社会的に批判を受けるべき内容であると思う。その上で私が気になったのは、発言の代償として求められていることだ。今回の発言の問題点はもちろん一面的では無く、複数の面で批判を受けるべき内容であり、その中のひとつが「人の失職や貧困・困窮を喜ぶような発言」であると考えられる。それに対する批判はあってしかるべきものだと思うのだが、その代償として「オールナイトニッポンの降板」「チコちゃんに叱られるの降板」「大河ドラマの降板」、さらには「芸能界引退」を求める声がネット記事やANN公式アカウントのツイートに対するリプライの中で見られた。ここに私は違和感を覚えた。失職や貧困を喜ぶような発言に対する批判の上で失職や貧困に繋がるような代償を求めるというのはどうも自分の価値観にはしっくり来なかった。望むべきでないものを望んだことへの批判の先に、その"望むべきでないもの"を望むのはおかしいだろうと思うのだ。謝罪と反省を促すのは至極真っ当であるが、それ以上の私刑、ましてや本質的に同等な行為を促すというのはいかがなものか、と。そこが私が報道後から放送前までで一番に引っかかっていたことである。

そして木曜日、ナインティナイン岡村隆史オールナイトニッポンの放送日である。パーソナリティである岡村隆史による謝罪が続いた後、相方である矢部浩之がブースに登場した。奇しくも、番組開始当初のスタイルがこのタイミングで再現されたのである。矢部さんによる公開説教では岡村さんの人間性そのものに切り込んでいった。他人への感謝の気持ちが裏では一切見られていないこと、パッカーンした時期を経て「可哀想さん」と見られていたことに甘えていたが実際には恵まれてる人間であることなどが指摘された。正直聞いていて落ち込むものがあった。ラジオが今の生活には一番の娯楽である人間に、こんなにも笑えないラジオは辛かったが「ここに目を背けてはいけない」という思いがあった。番組後半、矢部さんは岡村さんに「結婚したら?」と言った。これには正直びっくりした。今回の問題からそんな提案に繋がるとは全く考えていなかったからだ。しかしそれまでの説教、結婚した矢部浩之の変化、結婚しない岡村隆史の女性観の歪みについて聞いての私なりの解釈だが、矢部さんは岡村さんに「結婚を真剣に考えることで、逃げずに真正面から女性と向き合ってほしい。女性との向き合い方を含めた人格の歪みを変える努力をすべきだ。」ということを伝えたかったのだと思った。

放送後、Twitterのトレンドからいろんな意見や感想を見た。似たような考えの人もいれば、「矢部もズレてるじゃないか」「問題はそこじゃない」というものもあった。そういうツイートに対して「そうじゃないよ!問題を生む根本の人格の部分に向き合ってほしいんだよ!誤解しないでよ!」という気持ちになったが、よくよく考えるとこれはこれでおかしいだろう。自分が誤解してないとはどう考えても断言できないからだ。今回矢部さんが伝えたかったことを一言一句正しく表現できるのは矢部さんだけだし、岡村さんがどう受けとったのかも同じだ。それなのに、全能感を抱いてSNSに向き合うと「それは正しい」「それは誤解だ」という判断を勝手に進めてしまうからだんだんと歪んでいき疲れていく。

 

この1週間もない期間の考えの揺れを長々とここに記してきたが、自分のSNSへの向き合い方、SNS疲れの根本にある考え方に気づかされたなと思う。これからもラジオは私の中の最高の娯楽であるし、ラジオパーソナリティには尊敬と愛を持っていたい。もちろん心酔しては危ないということも今回学べたと思う。ただ、やっぱりSNSの利用が浸透した批判社会でも謝罪を受け入れて次に進む「ごめんなかまへん」の気持ちは常に持っていたいなとも思った。

そして、自分と真正面から向き合って叱ってくれる同世代がいる岡村隆史という人が少し羨ましくも感じた。コンビの縁は最高だ。そんな人がいつの間にかできるような人間になっていたい。